「うちの子は、あの子ほど激しくないから大丈夫」
そんなふうに、他の子と比べて自分の直感に蓋をしてしまった経験はありませんか?
かつての私は、ADHDという言葉すら詳しく知らず、ただ「多動=激しく動き回ること」だと思い込んでいました。
そして、街で見かけた「もっと多動そうな子」を基準にして、「息子は違う」と自分に言い聞かせていたのです。
この記事では、私が長男の特性を「多動ではない」と思い込む決定打となった出来事と、
今だからこそ感じる「他人との比較」の危うさについて綴ります。
この記事を読むことで、
- 「多動」のイメージに縛られるリスク
- なぜ母親は「うちは違う」と思いたいのかという心理
- 他人の子ではなく「わが子の困りごと」に目を向ける大切さ を知ることができます。
「多動」のイメージが、私の視界を狭めていた
長男が幼かった頃、私は「ADHD」という言葉を詳しく知りませんでした。
義母から夫の幼少期が「多動だった」と聞かされていたため、
私のなかで発達の悩み=「多動かどうか」だけが判断基準になっていたのです。
ネットで調べても「男の子はそんなもの」という情報が溢れています。
当時の私は、長男の落ち着きのなさを「男の子特有の育てにくさ」だと思い込み、
動き回ること以外の特性には全く目が向いていませんでした。
「うちの子は違う」と確信した、ある親子との出会い
そんな時、近所のイベントで「目を引く動き」をする小学校高学年くらいの男の子に出会いました。
- 猛ダッシュしたかと思えば、急に止まってクネクネする
- 突然地面に倒れ込み、また立ち上がって走り出す
その子の後を、お母さんと思われる方がトボトボと、諦めたような表情でついて歩いていく姿が印象的でした。
当時3歳で、道路に飛び出そうとする長男を必死に追いかけていた私は、
その光景を見てこう思ったのです。
「なるほど、あそこまで激しく動くのが『多動』なんだな。
うちの子はあそこまでじゃない。だから、息子は違うんだ」
あの日、彼と長男を比べることで、私は「長男は多動ではない=大丈夫」という免罪符を手に入れてしまいました。
素人の判断基準が、一番の落とし穴だった
今振り返れば、あの日見かけた男の子には、知的特性など他の要素も重なっていたのかもしれません。
しかし、当時の私にそんな判別ができるはずもありませんでした。
「もっと大変そうな子」を見つけて安心する。
それは、
「わが子に障害があるかもしれない」という恐怖から逃れるための、無意識の自己防衛だったのだと思います。
もし時間を戻せたとしても、あの時の私はやはり「うちは違う」と判断したでしょう。
それほどまでに、母親にとって「わが子の特性を認める」というハードルは高く、恐ろしいものだったのです。
結論:誰かと比べるのではなく、今の「育てにくさ」に目を向けて
発達の特性は、グラデーションです。
「あの子よりマシだから」は、何の判断基準にもなりません。
もし、かつての私のように「あの子よりは落ち着いているから大丈夫」と自分に言い聞かせているなら、
一度その比較を横に置いてみてください。
誰かと比べるのをやめて、目の前の子との「生活のしにくさ」だけを見つめていい。
誰かと比べて安心しても、今目の前にある「育てにくさ」は消えないからです。
その違和感を大切にすることが、結果としてお子さんとあなた自身を助ける一歩になります。
※このブログでは、
発達グレーの長男との日常や、
ストレスを減らす工夫、
おでかけ・学習・家庭での試行錯誤を
等身大で書いていきます。
同じように悩んでる方の、
少しでもヒントになれば嬉しいです。


